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1963年にS50D-I型が発売されました。「理想のファミリーカー」をキャッチコピーとし、小型ファミリーセダンとして1500ccクラスの量産車という位置づけでした。
1966年にプリンス自動車が日産自動車と合併したため、車名がニッサン・プリンス・スカイラインに変更となりました。
ファミリーユースとスポーツを両立させたC10型スカイライン、通称「ハコスカ」として現在でも親しまれています。当初は4ドアのみでしたが、後に2ドアハードトップやGT-Rも追加されました。「愛のスカイライン」CMキャンペーンは、この時期にスタートしました。
通称は、CMキャンペーン「ケンとメリーのスカイライン」から呼ばれるようになったもの。先代のC10型の時代に展開された「愛のスカイライン」キャンペーンの内容を継承し、「愛のスカイライン」のキャッチコピーも引き続き使用されました。従来の性能の良さをアピールする硬派なものと違い、柔らかい印象のCMとなりました。4ドアセダンのみ「ヨンメリ」と呼ばれることもありますが、こちらは4ドアのヨンをとったもの。
スカイラインの伝統と言われる丸目4灯は、このC110型で初めて採用されています。
ボディバリエーションはC110型と同様で、基本の4ドアセダン、5ドアステーションワゴンの「ワゴン」と「バン」、そして2ドアクーペの「ハードトップ」。1980年のマイナーチェンジではスカGターボが登場しました。人気のテレビドラマ、「西部警察」にスカイラインが初登場したのも1980年でした。
通称は、広告キャンペーンのキャッチコピー「SKYLINE JAPAN」から。
俳優ポール・ニューマンをイメージキャラクターに起用した事によりついた通称はニューマンスカイライン。型式番号のR30(アールサンマル)とも呼ばれています。
R30型では、スカイライン史上初めて5ドアハッチバックが設定されました。
タービン素材に軽量なセラミックを採用した「セラミック・ターボ」が特徴的。通称はそのままセブンスと呼ばれるが、型式をとってR31(アールサンイチ)と呼ばれることも。
カタログモデルでタクシー仕様車が設定されたのは同型が最後となりました。
本格的なスポーツセダンをめざし、「超感覚スカイライン」というニックネームがつけれました。ボディタイプは、4ドアスポーツセダンと2ドアスポーツクーペのみとなりました。運動性を重視したスタイリングで、シェイプアップされています。
パトカー仕様はこのモデルが最後となりました。
「本流グランドツーリングカー」というキャッチコピーで、グランドツーリングカーとしての居住性と走りを表現していました。また、主力ユニットがRB25型エンジンとなったことで、全車3ナンバー化となりました。
通称はR33(アールサンサン)。
1998年、10代目が発売となりました。キャッチコピーは「ドライビングボディ」。先代の反省からか、ホイルベースを短縮してボディ剛性が向上され、同時に安全性も向上されました。
2ドアクーペは、交通取締り用のパトカーとしても採用され、4ドアセダンのGTターボは覆面パトカーとして導入されました。
キャッチコピーは「21世紀の理想のプレミアムスポーツセダン」。
スカイライン初のV型6気筒エンジン(3.0L 260ps/33.0kgm)を搭載し、型式もV35となりました。一方、国外では日産の上級ブランドであるインフィニティブランドにて、インフィニティG35として販売されました。
発表時には廃止されていた伝統の丸目4灯テールライトですが、マイナーチェンジで復活しました。
2006年4月に、輸出仕様である新型インフィニティG35セダンがお披露目され、同年11月に日本国内で発売されました。先代のV35を大幅に上回る剛性を確保しながらも、コンセプトは継承しています。
次世代モデルのV37型が販売された現在も、車種を絞って販売継続されています。
スカイライン初の、全グレードがハイブリッド車となりました。また、インフィニティの開発における高い技術力や高いデザイン性の証として、インフィニティのバッジが装着されています。
初代のスカイラインは当時の富士精密工業から発売されました。搭載されたエンジンは直列4気筒OHV(1484ccのGA30型)で、最高時速125km/hは当時の1.5リッタークラスとしては世界最高性能でした(カタログスペック)。
当時の価格はDXが120万円、クーペが185万円、コンバーチブルが195万円などと破格で、大卒の初任給が約6000円の時代にはかなり高額でしたが、総販売台数は3万台を超えました。